2016年 12月 19日
観念とものづくり |
先週治ったと思っていた風邪がまだ体内にいたようで微熱。早く寝ようと思っている。
このところ窯のトラブルにはじまり冴えないことが多くて、ポジティブに考えるのもしんどくって、まあそんな時期も期間限定なら必要なんだと。
何気無ーく開いた二十数年前のアラーキーの対談集で、山田詠美さんとのお話に何年ぶりだろうか、本に勇気付けられた。
以下、勝手に端折ったりしているがこんな話だ。
「観念というものを持って使う人たちと、ものを作り出す人達、全然違うと思うんですよね。ものを作り出す人達って、観念に対していつも無意識じゃないといけないと思うんですよ。
ものを作る人が観念ということを意識したら、私、絶対だめだと思うのね。
もっと頭が悪いことだと思うの。
頭が悪いからこそ感覚が優れてるっていう、そういうふうなものがものを生み出すんだと思うのね。」
そしてこうおっしゃる
「それじゃやりっぱなしだから、それをケアするまわりの人たちとして観念を使う人たちが、それをどうするかっていう。」
この二行は、売り込む人を見つけてもらいなさいということなのか
どう捉えるか、人それぞれだろう。
そんなアマイ話しで今の時代、もの売れるわけないと思うかもしれない。
じゃあどうやって売るんだと。
みんな必死で今とこれからをリサーチして、自分の作品SNSにあげて宣伝まで自分でやって、クラフトフェアーでたりギャラリーに売りこんで、頭下げて展覧会して、売れても売れなくてもやらせていただいてありがとうございましたとも一つコウベヲタレ、また次回に向かう。
これくらいやって当然、いや、やはり何かおかしい気がする。
山田さんが言いたかったのは、なんだったのか、(ここでは工芸作家のことを言っているのではないだろうが)ご本人に聞くことは出来ないが、今本物正真正銘のものを作り出す人たちがとても少ないということではないか。
こんなに器ブームで、たーくさんものを作り出す人達がいて、なぜ奥行きを感じない?
前回からの風邪でまた作ることのきっかけを頂いた。
そして賢くもの作ってなくて少しだけ良かったなって思えた。
ちなみに山田詠美さんの小説は一度も読んだことがない
by azz-yuki
| 2016-12-19 23:12
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