2011年 12月 22日
被災地と東北旅を終えて |
震災から9ヶ月以上が経ち、ようやくこの地に訪れる事ができました。
次の気持ちに切り替えるため、そして次に繋がっていくためにも今、記しておこうと思います。
とにかく現地を自分はどう感じてこられるのか、不安だった。絶望した気持ちで帰りたくはなかったから。
帰ってくると、そこにはフツウがそこらに転がっていて、これはいったい普通なのか、はたまた奇跡なのか分からない。
石巻市でほんの少しばかりのボランティアもしてきました。
お陰で現地の人とお話しすることも出来ました。
その方も家屋を津波に襲われ、取り壊しとなってしまったため、仮設への引越準備のお手伝いでした。
家を奪われ、家族を亡くし、街を更地にされても、みなさんどっこい生きています!
そしてあたたかい。
よく報道などでも聞く事だが、逆にこちらが元気をもらいに来たような感じである。
そして、これほどまでの被害を受けても、またこの地に住みたいと思い、海を忌々しく恨んだりはしていないという事。
海のそばで暮したいのだ。

自然には恨みをもっていない。
当然なのかもしれないけれど、すごい事かも知れない。人間が自然物である事の証かもしれません。
だから余計に、原発事故とはまるで別の出来事なのです。これは人間が人間に起こした災害であり、事故でふるさとに住めなくなった、あるいは避難されている方たちも、決して津波を恨んだりはしていないはずだ。人間が作ったもの、犯したミスに矛先はあるはずなのだと思うのです。
石巻市でお手伝いをした後、海岸沿いを車で走りました。
石巻市から三陸海岸沿いに南三陸町まで。

人間の創造力は、とても自然には及ばない事を思い知らされました。
なにも知らなければ、かつてここに町があり、人が暮していたとは思わないでしょう。
9ヶ月経ち、瓦礫はほとんど撤去され、広大な更地が広がっているのですから。
その瓦礫は、あるところどころに、まるで巨大なモニュメントのように高く高くそびえ立っていました。
それらを写真に収めようとして、なんども躊躇して・・・結果的に、被災地を撮った写真は数枚でした。
ブログに載せてどうなるものでもないかもしれないし、やはりこの眼で見ないとこの悲しみは感じられません。
こんなに悲しい光景は生まれてはじめて眼にしたと思います。
一枚だけ載せます。ある漁港の町だったところ。海は道の向こう1kmほど先にありますが、ここにも家々が立ち並んでいました。

港町はどこもこんな状態なのです。
「悲しみは人を壊さない」 これはこの旅で読み終えた田口ランディさんの本の一節です。
これが自分の中で繋がりました。
津波の被害を受けた町、集落はまさにコレカラなのです。世界中が注目しています。
でも急ぐ事はないと思うのです。
がんばれ、ガンバッペ、復興、復活と、、もういいじゃないですか。
被災地の人たちはもう十分頑張っているのです。

海岸の町はここでお別れしました。南三陸町の仮設コンビニです。
町は信号すらほとんどなく、夕暮れの更地にぽつんと営業するお店に、皆が寄り添うように集まっていました。
被災した町は今ゼロの状態になったのです。ゆっくりカウントして、世界に誇れる町づくりが出来る、またとない好機となるべきです。
訪れた石巻市はすでに町の有志と、外部の建築家やクリエーターが一緒になって町づくりを進行させているようです。ここにも私たちができる事のヒントが隠されているように思います。
地元の良い町を作ろうとする人と、客観視できる眼と頭脳そして両方の技。これらがタッグを組めば、きっとすばらしい事が生まれるでしょう!
失われた町に、希望の光が射し始めています。
これもよそものの考えです。調子のいい想いかも知れません。
でもほんとうの豊かさで溢れる町づくりに期待しています。
そしてまた何かのカタチでお手伝いが出来ればと思うのです。

次の朝、平泉へ行きました。
美しく雪が舞い降りた毛越寺の庭、ピリリとした寒さのなか、やさしく輝いていました。

次の気持ちに切り替えるため、そして次に繋がっていくためにも今、記しておこうと思います。
とにかく現地を自分はどう感じてこられるのか、不安だった。絶望した気持ちで帰りたくはなかったから。
帰ってくると、そこにはフツウがそこらに転がっていて、これはいったい普通なのか、はたまた奇跡なのか分からない。
石巻市でほんの少しばかりのボランティアもしてきました。
お陰で現地の人とお話しすることも出来ました。
その方も家屋を津波に襲われ、取り壊しとなってしまったため、仮設への引越準備のお手伝いでした。
家を奪われ、家族を亡くし、街を更地にされても、みなさんどっこい生きています!
そしてあたたかい。
よく報道などでも聞く事だが、逆にこちらが元気をもらいに来たような感じである。
そして、これほどまでの被害を受けても、またこの地に住みたいと思い、海を忌々しく恨んだりはしていないという事。
海のそばで暮したいのだ。

自然には恨みをもっていない。
当然なのかもしれないけれど、すごい事かも知れない。人間が自然物である事の証かもしれません。
だから余計に、原発事故とはまるで別の出来事なのです。これは人間が人間に起こした災害であり、事故でふるさとに住めなくなった、あるいは避難されている方たちも、決して津波を恨んだりはしていないはずだ。人間が作ったもの、犯したミスに矛先はあるはずなのだと思うのです。
石巻市でお手伝いをした後、海岸沿いを車で走りました。
石巻市から三陸海岸沿いに南三陸町まで。

人間の創造力は、とても自然には及ばない事を思い知らされました。
なにも知らなければ、かつてここに町があり、人が暮していたとは思わないでしょう。
9ヶ月経ち、瓦礫はほとんど撤去され、広大な更地が広がっているのですから。
その瓦礫は、あるところどころに、まるで巨大なモニュメントのように高く高くそびえ立っていました。
それらを写真に収めようとして、なんども躊躇して・・・結果的に、被災地を撮った写真は数枚でした。
ブログに載せてどうなるものでもないかもしれないし、やはりこの眼で見ないとこの悲しみは感じられません。
こんなに悲しい光景は生まれてはじめて眼にしたと思います。
一枚だけ載せます。ある漁港の町だったところ。海は道の向こう1kmほど先にありますが、ここにも家々が立ち並んでいました。

港町はどこもこんな状態なのです。
「悲しみは人を壊さない」 これはこの旅で読み終えた田口ランディさんの本の一節です。
これが自分の中で繋がりました。
津波の被害を受けた町、集落はまさにコレカラなのです。世界中が注目しています。
でも急ぐ事はないと思うのです。
がんばれ、ガンバッペ、復興、復活と、、もういいじゃないですか。
被災地の人たちはもう十分頑張っているのです。

海岸の町はここでお別れしました。南三陸町の仮設コンビニです。
町は信号すらほとんどなく、夕暮れの更地にぽつんと営業するお店に、皆が寄り添うように集まっていました。
被災した町は今ゼロの状態になったのです。ゆっくりカウントして、世界に誇れる町づくりが出来る、またとない好機となるべきです。
訪れた石巻市はすでに町の有志と、外部の建築家やクリエーターが一緒になって町づくりを進行させているようです。ここにも私たちができる事のヒントが隠されているように思います。
地元の良い町を作ろうとする人と、客観視できる眼と頭脳そして両方の技。これらがタッグを組めば、きっとすばらしい事が生まれるでしょう!
失われた町に、希望の光が射し始めています。
これもよそものの考えです。調子のいい想いかも知れません。
でもほんとうの豊かさで溢れる町づくりに期待しています。
そしてまた何かのカタチでお手伝いが出来ればと思うのです。

次の朝、平泉へ行きました。
美しく雪が舞い降りた毛越寺の庭、ピリリとした寒さのなか、やさしく輝いていました。

by azz-yuki
| 2011-12-22 20:19
| 旅