2012年 11月 13日
戦前の昭和 |
滋賀県にいると、空襲などを逃れたせいか、戦前どころか江戸~明治に建てられたと思われる建造物が沢山残っている。
近江八幡などは、街並みを守るため、東海道線の駅をわざわざ郊外へ離して造ったとも聞いています。
その意識の高さに感心します。
先日、近江八幡と五個荘町で開催された「びわこビエンナーレ」というアートイベントに足を運んでみました。
普段は閉ざされている家屋に足を踏み入れる事が出来るのだが、やはり先人達のつくる家並みや、建造物にはそこで生きてきた人たちのプライドや心の豊かさを感じる。
そしてその時代時代の最新の技術と意匠を駆使しているのでしょう。
その空間にいるだけで、自然とこちらまでゆったりとした気持ちになり、なおかつ凛とした心地よい緊張感も湧いてくるから不思議だ。
話変わり、写真の建造物。 先月九州東部へ旅行に行った時のものですが、なんだか分かりますか?
これは蒸気機関車時代の車庫と回転台の跡、産業遺産であり廃墟です。
蒸気機関から、ディーゼル、電気とめまぐるしく変化する中で、使われなくなったため、現存するものはほぼありません。(これ以外はわたしは京都梅小路のものしか知らない)
しかしこの力強い造形美は、車窓から見たときヒトキワ強烈に目に焼きつきました。
どうしても間近で見たくなり、予定を変更して近くの駅に降り立ちました。
なんでもこの建造物をこの町の遺産として綺麗に保存し、観光資源に活用しようとしているようで、近づいてみると庭の整備をしていました。
ただ建物はまだ手付かずのままで、それがまた、この建造物を際立たせています。
これは、昭和初期のもので、太平洋戦争が始まるまでは本来の役目を果たしていたそうです。
戦時中はやはり軍事目的の倉庫としても使用されたようで、戦闘機からのミサイル攻撃のあとも残っているそう。(残念ながら機関庫中には立ち入れなかったので確認は出来ませんでしたが)
この建物を取り壊さなかった町の人たちに感謝します。
廃墟なのに、こんなに凛として美しい鉄筋建造物と時間を共有できたのですから!
これをみていたら、二次大戦に向かう前の日本の風景や街並みが見てみたくなった。
それはそれは何処を切り取っても美しく、豊かな世界だったと創造する。
経済的には貧しかっただろうし、その為もあり戦争に舵を切ったのだから、現在の日本のほうが表層は豊かなのかもしれません。
生まれてませんし、想像するしかないのですが、あたらしい文明と、その土地や本土に根付く文化が上手くバランスの取れた世界。
そんな時代だと想うのです。
いま、足りないものは何なのか?
この昭和の機関庫に教わる事もたくさんあるのではなかろうか。
by azz-yuki
| 2012-11-13 15:03
| 旅